屋形船の歴史

屋形船のルーツは、江戸時代の頃まで遡ることになります。
江戸時代中期のころにはすでに、”屋形”と名付けた大型の川舟で、
大名や、または裕福な町人たちは、船遊びに興じていました。(*/∇\*)

そんな屋形船は、その外観や、内装の豪華さを競い、次第に大型化していきました。
しかし、当時の江戸幕府は、屋形船の装飾や大きさに、制限を加えていました。
過度な競争を防ごうという狙いなのでしょうか。(*゜.゜)ホ・(*゜。゜)ホーーッ!!
(先に屋形船の利用方法を調べるならこちらへ!)

江戸時代後期の屋形船

江戸時代の後期になると、小船に簡単な屋根を取りつけてた様を、
貧弱な船の屋根だなと言われており、障子ばりの屋根船は、
武士が使用していたといわれています。

そして、徳川が政権を持つ江戸幕府が統治する世の中は”太平の世”ともいわれており、
様々な文化が花開いた時期でもあります。

屋形船もその例に漏れず、その泰平の世を象徴するかのように、
豪華絢爛な屋形船が次々と造られ、
また、これが大名用のものとなると、”川御座船”と呼ばれる船となりました。

大きな船の装飾は、まさに豪華を極めており、
その様を人は”其美筆紙に尽くし難し”と いわれるようにもなりました。

その長さ、11間・幅3間・部屋数10というあまりにも豪華で華美すぎる大型船は、
ついに幕府からも”遊山船金銀之紋、座敷之内絵書き申間敷事”と
いわれる程に制限がかけられ、
または禁令が出されるほどであったといいます。Σ('◇'*)エェッ!?

19世紀の屋形船

また、19世紀に入ると、貧弱な屋形船”猪牙”という小舟が流行りました。

前のページでも述べた、太平の世ともいわれ、江戸の文化・経済が栄えたことの理由の
一つには、まず第一に河や、堀と呼ばれる水上交通の存在があります。

栄えた理由とは
これは遊びの道である吉原への道と、 または江戸町民の自慢でもあり、
文化の遊び、町民の遊びででもありました。
身分の違いを超える
武士・町民の身分を超えて、舟遊びを楽しみ、
その”遊び”の1つとして屋形船が登場したのでありました。
この時、全国から集まってくる武士たちは、 こうした屋形船などの江戸の文化を楽しみ、
また、こうした遊びは明治・大正・昭和と、 時代を超えて親しまれるまでになりました。

屋形船が登場した当時は、乗客員が20名ほどでした。
初めの屋形船は小さい船が主流だったのですね。
しかし、屋形船に乗船する客も増えていき、そのニーズに応えるかのように、
徐々に80名そして90名と、現在においては100名を超す大きな船へと変わっていって、
今の屋形船のカタチへと繋がっていくのでした。

そして現代の楽しみ方へ…

現在の屋形船の人気の理由としては、まず船にはカラオケができたり、
コンパニオンといったものを雇って、お客を集めていっているから…
またマッチング・パーティーのサービスもあります。
ということもいわれていますが、それを、川下りしながら楽しめるという、
普段味わえない環境が、人気の理由ではないのでしょうか。
また、今では地元の人々はもちろん、
社会人や常連さんなどがこの屋形船を利用しています。

このように、屋形船は「川に浮かぶお座敷」といった意味で
多くの人達に知られており、愛され、利用され続けています。('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*) ウンウン

check

名古屋で格安レストランウエディング

2014/10/22 更新